日・チェコ通訳はまだAIに越されない?
Namiko Sakamoto
阪本 なみ子
チェコ
AI
通訳

自分が培ってきたものをどう活かすかは、自分次第。

ただ通訳者するだけでは物足りない!

そこから一歩先へ進んだのは・・・

通訳者は「通訳」するだけ?第一章「I am TOYOTA✨」 

通訳業務においてはもう時期一旦休憩に入るので、この機会に徒然草タイム。
通訳者としての経験は約17年。日本語・チェコ語が主ですが、ビジネス英語も当然可能。日チェコ通訳については、人事関係、製造現場、監査、決算、マネジメント・ミーティングといった会社経営・工場運営に必要な全場面にて対応可能な他、要人(政治家、外交官の方々など)の通訳なども含め場数をこなしているので、その場の雰囲気に相応しい通訳ができます。実績以外にも、チェコの法務省にも登録された「公認通訳士」を務めていました。


全く知らないチェコ語を学ぶためにカレル大学のチェコ語学科(当時「外国人チェコ語学科という名称)に入学した当時、一日18時間程勉強していた時もありました。周囲のチェコ人、外国人の方に、「あ、やっぱり日本人てロボットなんだ」というイメージをしっかり植え付けたのは私です😅大学の図書館の他、スラブ図書館、国立図書館に入り浸りました。
集中力には限界がありますが、そんなことはどうでもよく「脱3歳児」をスローガンに勉強に打ち込みました。交換留学生時代に多少は文法を勉強したものの、大学での学問はちょっと違う。何もわからない・・・乳児に遡った自分が悔しくて悔しくて仕方なかったのを覚えています。


カレル大学に入学した翌年、TPCAトヨタ・プジョー・シトロエン・オートモービル(現在のトヨタモーターマニュファクチャリングチェコ )の通訳者としてバイトを始めることができました。
そこで様々な方に出会えたこと、大学で勉強したことを実践する機会を得られたことは大変貴重な体験でした。通訳といっても最初は見習いのようなもの、通訳できることもあればできないこともありました。電子辞書とメモ帳セットを片手に通訳しているような、勉強しているような、暗号を解読しているような、ジェスチャーが派手になり演劇を始めたような日々でした。
当時は、主に現場担当。ライン立ち上げで数十名の日本人トレーナー(技師やエンジニア、ラインの主任といった方々)が活躍されていました。プレス、溶接、塗装、組立てと各ショップを回り、製造工程についても勉強させていただきました。
「トヨタってすごい!」感動しました。トヨタ生産方式をはじめ「天下のトヨタ」とは伺っていましたが、これはすごいと思いました。
大学生で、時には3歳児で、将来何がしたいのか分からない私。
皆様もご存知の通り何においても始まりは楽しく、初心者の成長スピードは速い。

💕Tesla model 3

第二章【日立家電に日立AMS(ASTEMO)編の前に】


下っ端ながらもトヨタチェコ(当時のTPCA)工場の現場で通訳のバイトに慣れることは、一日の業務の流れについていけるようになった証でもあった。最初はビクビクしながら一言一句訳すだけだったのが、余裕ができると話す人の立場というものを考えるようになった。
チェコでの典型的な形態は、日本人出張者/駐在員とチェコの現地スタッフ(管理職から現場の作業員)。数週間または数年間工場にいる人と、転職しない限りその工場でずっと働く人・・・。


私の観察癖はさておき、高い報酬を得る通訳者を気に食わないと思う現地スタッフも割といたことが記憶に蘇る。下手な通訳を鼻で笑われることもあった。チェコ人の女子大学生は泣いていたこともある。私がその子に言えたことは、「つらいのはわかるけど給与いいよね。こんな仕事他にある?ボスは、学生アルバイトの私たちがこのレベルだっていうのを分かってて雇ってくれたんだから。」通訳者を纏めていたボスは日本語が堪能なチェコ人の男性。少し話をさせてもらった私の印象は、「Fair(公平)+ give & take「時給分がんばってくれらたそれでOK」。他の年上の経験者も含め、確かに変わった人は多かったけど(笑)いい人ばかりでした。


トヨタではバイトなので、就学ビザに労働許可証をくっつける形で仕事をしていました。労働時間が増えバイトからパート契約へ移行。最終的には正社員になるか自営業主として業務委託契約に切り替えてもらうかの選択が必要でした。私の選択は周囲の通訳さん達とは逆方向。「では暫くここで通訳やめます。」チェコ人の通訳者さん達は、大学を一旦休学する人もいれば中退する人もいました。


私はとにかく大学(修士課程)を5年ちょっきりで終わらせたかった。中途半端な状態で通訳者にはなれないと思うと共に、自分の意見を押し殺して人の意見を伝える作業は、我が強い私にはとても勉強になりましたが、通訳・翻訳自体に興味は湧きませんでした。


一方、生活の糧は必要。そこで、仕方なく個人事業主として通訳者の営業資格を取ることにしました。「営業資格」という名称から、どんな技能を試されるのかと思えば何も必要なく、待っていたのばただの事務手続き。当時の法律で、ただの通訳をしたいだけの外国人自営業主も登記が必要かつ複式簿記が義務付けられていました。うわー、学生で法人なみ。日本からの無犯罪証明書の取り寄せや、営業ビザの取得、営業資格管理局、税務署、健康保険局に社会保険局で「嫌がらせ?」と思うほどの事務作業をクリアしなければならなりませんでした。おまけに、年間売上高が百万CZK(約5百万円)を超えるとVAT納税者としての登録も必要。
そっかー、だからこの国では従業員になった方が楽なんだーと感じながらもボチボチお仕事をいただき無事に修士課程終了。四回生から社会言語学のゼミに混ぜてもらい博士課程に進みつつも、通訳と何かプラスアルファを本業にしようと就職活動(正しくは委託業務の募集)を開始し出会ったのが日立家電さんでした。

つづく

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