心はエイジレス
Namiko Sakamoto

チェコの共産主義時代はどんな風だったの?

(1948年〜1989年)

数多く尋ねました。

「行き証人がいるうちに得られる情報は直接得たい!」と力む私とは裏腹に、この質問に嫌な反応を見せた方はいませんでした。

笑いながら、苦笑いしながら、ちょっと難しいなという顔をしながらも皆さんご自身の体験を話してくださいました。

〇〇体制が良い/悪いと政治的な観点から語るのではなく、楽しい幼少時代または苦労、おかしいと感じた点、笑えるエピソード、ひどい目に逢った経験など様々。

とある工場の現場に明るくてとても気さくな女性がいました。ラインのチームリーダーだったと記憶しています。

45歳の誕生日とのことだったので、おめでとうございますとチェコレートを買って持って行きました。

そこで言われました。「私、なみ子と同じ歳くらいの子供がいるの。ビックリでしょw」

はい、ビックリ!

「じゃあ、19歳くらいで出産でしたか?」

「そうそう!共産時代、結婚・出産ぐらいしかすることなかったからねw。信じられないでしょ?」

特に信じられないことはありませんでした。

既に晩婚が流行り出していた時代ですが、江戸時代だと子供を産んで当然の年齢。

また、若い時に子供を産んで育てるのはとても効率が良いと個人的には感じていました。

といった回答をしたところ、なんだか喜んでくれました。

そして、「確かに効率良いよ。子供はもう一人前だし、この歳で第二の人生好きなように楽しめるからね。」

・・・

所変わりまたチェコのトヨタ工場に戻ります。

アルバイトで通訳を行っていた際に、全ショップ(スタンプ、溶接、塗装、組立て)全てを回ることができました。

天下のトヨタ、見習い通訳者としてトレーナー(エンジニア)さんにいっぱい怒られるだろうなと覚悟していました。

しかし、そんなことは全くありませんでした。

「仕事にも早く慣れてほしいし、分からないことはどんどん聞いて。」

お言葉に甘えてどんどん尋ねました。手作り辞書とメモの数が増える増える。

不具合や設備機械以外に改善やJITなど、通訳とは直接関係ないことも色々と尋ねました。

丁寧に教えていただけました。

暫く経つと、なぜエンジニアの方々がこれほど熱心に色々と教えてくれるのかが分かりました。

「娘に自分の仕事を教えてるみたいですごい嬉しいんだよね!(娘だったら絶対仕事の話聞いてくれないけどwww)」

仕事をしている時に、一緒に仕事をする方の境遇や家族構成、生活環境などに触れることがあります。

感覚、感性、習慣、環境といった多くの知らないこと、逆に国籍を超えて共通点を見つけることも。

コミュニケーションから得た情報や温もり全てが私の原動力

私はこれからもずっと好奇心旺盛なんだろうなぁと、博士課程の試験前には瞑想していました。(その後無事合格しました!)